WIND OF MOON

アニメ、漫画(たまにドラマや音楽)の感想・雑感を気の向くままに綴っています。
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No  257

アニメ【NARUTO】感想

いつもの感想の前に…
ダンゾウって右目包帯しているよね?
で、ほとんど目を閉じたままだよね?
もしかして、マダラと関係があるんじゃないか?



■334話「鷹の瞳」2009年6月18日放送
脚本/彦久保雅博 絵コンテ/安美鈴 演出/木村寛 作画監督/徳倉栄一

前回の『大蛇の瞳孔』が大蛇丸のサスケ乗っ取り前、今回の『鷹の瞳』はサスケが大蛇丸を乗っ取ったという話。
大蛇丸の生への執着と、いかにして利己的になったかを原作を補う形でアニメ化。
【NARUTO】はこうやってアニメを見ていると、原作で結構行間と行間の隙間がある作品なのだな、と思います。
行間を埋める作業は同人の楽しみでもあるのだけれど(この場合、広義の意味合いでの同人)、こうやって原作を崩さずに詳細な描写で作られると、本当に【NARUTO】はアニメスタッフに大切に扱われているのだなぁ、と思います。

綱手の弟・縄樹の戦死に大蛇丸が居合わせていたというエピソードを加え、続いて綱手の最愛の男・ダンの戦死を見て、いかに人間は肉体的に脆弱であるかを認識した大蛇丸。
元々頭の回転が速く忍としての才能もあった為、肉体の脆さと生命が有限であるということが痛いほどに分かってしまった。『死ねば全てを失ってしまう』と。
だからこそ、禁術の凄さが理解できたのでしょうし。
全ての術を会得する才能が自分にあることを大蛇丸は自負している。
火影が里の忍の頂点であっても寿命に限りがあるのは他の忍と変わらない。
大蛇丸が目指したのは五影の一人としての地位ではなく、全ての術を極めた者として頂点に立つこと。不老不死はそれに付随したものなのだと思います。
里を優先する師・三代目も同じ釜の飯を食った自来也も、『この世を解き明かす者、全てを手にする者』をおのれの『理』として掲げる大蛇丸には同志ではない。
それ以降、大蛇丸は木ノ葉の所属ではなく、自身の体でさえもその精神の器ではないと思い始め、『組織だろうと何だろうと利用し』て、彼は自分の研究を続けるべく抜忍となった、というアニメでの描写でした。

なるほどね。

しかし、器と居場所(笑)を転々として研究を続けながら、どうしても術の開発では会得できないものがありました。
それが、血継限界―写輪眼です。
大蛇丸自身も『血を超える事はできない』と語っています。

何故、大蛇丸は死の森でサスケに呪印を施したのか。
それはまだほんの少年だった頃のイタチの修行を垣間見て、その能力の素晴らしさに心酔してしまったから―というのは、動機としてとても頷けるものでした(これもアニメでのエピソードです)。
見切る力、幻想を見せる力。
どちらも強力な攻守兼ね備えた力。

抜忍となった大蛇丸は暁でイタチと再会しました(今回アニメで、イタチの方が大蛇丸よりも後にメンバーとなっています。原作では不明)。
そこで写輪眼を手に入れるべく、イタチと二人きりになる機会を狙って襲ったのですが、失敗に終わっています。
そこで諦めるのではなく、写輪眼を更に欲していったのだという事が分りました。

それと、アニメで認識したのですが、
呪印とは、『肉体活性術』なんですね(^^;)。
余談ですが、綱手の『創造再生』も肉体活性術の一つなんでしょう。だから三竦の戦いの時、大蛇丸が綱手に「アナタも独自の術をあみだしたのね」とか何とか言っていたんだな。よく原作とリンクさせたものですね、今回の脚本。

●アンコが放ったクナイに刺された白蛇。
蛇って死んでもカマをもたげたままなの?

●白い蛇って幸運をもたらす、って言うけれど…アンコにとってはトラウマなのかな?
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